活動報告

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養生塾の風景
養生塾の風景
第10回養生塾の風景
今回は夏初めての開催。やはり暑さにどう対処していくか、梅雨の湿熱に多くの参加者が体調を乱しているということで、まずは水分代謝を良くする知恵をいくつか教わりました。養生塾はなんといっても日常の生活で持続できる養生の知恵をお伝えする場。毎日取り組めるということで、今年は特に気食にも力を入れています。印象に残ったのはトウモロコシのごはん、水分代謝をよくし、胃脾を整えてくれるのです。特にひげの部分に薬効があるそうで、むくみのある方は夏お茶にして摂るのもお勧め。またドクダミはまさに毒だしということで、様々な使い方を教わりました。異常気象が当たり前となつているこの時代、生きていく知恵として持っていたいなと思いました。
樹遷さん前の日まで、九州の豪雨の被災地で支援活動を行っており、そこから見えてきたもの、それは孤立社会の現実だったそうです。被災地と指定されたところには支援が、はいるが、そこから一歩はずれたところには何もはいらず、そこにおいて孤立の構造がうかびあがってくるということ、それは被災地だけでなく、この国全体の未来でもあるということ。高齢者だけでなく若者のうちにも、孤立は広がっており、又家族の中でも孤立はあるというお話。その中で、この養生塾が人々の居場所となって孤立社会に対する一つの新しい提案になれたらというお話に、皆深くうなづいていました。今回は特に若者の参加が多く、親年代の方と一緒に食事つくりや、世間話に講じていました。親だと反発することも他人だと素直に耳を傾けれるもので、そんな出会い、関係性を育めるのもこの養生塾の魅力です。
二日目は若者が多かったということもあり、これからの社会のありよう、そして何を準備していくか、どう生きるかについて多くのお話をしてくださいました。地球が活動期に入っているということ、一つの火山の噴火で食糧難になったときどう私たちは生きていくのか、見渡せば人工のものばかりで飾られている今の生活。縄文人の様に石の道具だけで生き抜いてきた時代に比べどちらが知恵があるのだろう。杜のまなざし塾でも毎回、この草はどんな薬効が、この木は何に使えるといろんな自然の恵みのお話を樹遷さんはしてくださるのですが、いざというときの為、きちんと覚えておきたいなと思うひと時でした。最後は夏に向け代謝を良くする、気の交流をお互いにしあい、塾を終えました。終わった時皆の表情が朗らかにほどけているのは言うまでもありません。気はまさに一瞬、わずかな時間でも本当に変化がすごいです。
何人かの若者がその後も去りがたく、近くの喫茶店で樹遷さんを囲んでの団欒に。いろんな質問に、真摯に向き合い語ってくれる樹遷さん、こんな大人を若者は求めているんだろうなとひしひしと感じました。9月にはついに、癒やし手、伝え手養成の気らん塾が開かれることになりました。そこでは樹遷さんが今まで先達さんたちから綿々と伝えられた知恵をもっと深く学び、日々の暮らしに生かしていける錬成を深めていきます。何人もの若者が参加の意思を表明してくれています。どんな風に展開していくのか、30年前自分が参加したときのことを思い出し、ワクワクしています。
公という志をもち、若者が社会で生き生きと「端楽=はたらく」姿を思い、準備を進めています。まだ参加者は募集しておりますので、ご関心ある方はお問い合わせください。
区切りとなる10回を終え、次の展開へ。次回養生塾は秋、10月を予定。一度、養生の知恵を身につけに、又自分の居場所を味わいにご参加ください。夏の報告でした。

第9回養生塾の風景

今回は久々の金沢市湯涌の杜にて、新緑の時期ということで多くの方に参加いただきました。日帰りのメンバーも何人かいたのですが、短い時間なりに皆笑顔で帰られたのがありがたく思いました。今回のテーマは、春から夏への体の調整。多くのメンバーがまだ春の体で、夏に向けた毛穴が開き、水分代謝のできる体になっていないということで、むくみを取る気の交流から。又季節の変わり目故、胃腸の整えも行いました。なんといっても、おなかは第2の脳、東洋で言う肚ができているの通り、肚ができるとは精神的にも落ち着くということ、つまり脳と肚は一つのものと考えるのです。今盛んに医療の現場でも健腸が唱えられていますが、なんのことはない東洋では当たり前の世界。というわけであんま功も腸を意識してお伝えさせていただきました。又漢方において、気食においての整えも深い知恵満載で家に帰ってやってみたいと思わせるものばかりでした。なかでも、今回樹遷さん、糠漬けのお話になると話が止まりません。日本の誇る発酵食、最高の栄養もあり、腸を整え、体に活力を与える、台所に一つは置いときたい食べる薬箱。しばらくは発酵食についてお伝えしたいということで、科学的説明も含め、作り方を教えていただきました。参加者皆、作るぞと思われたのではないでしょうか。もちろん自分も早速作り、食しています。家族にも大人気、これでこの夏を乗り切れそうです。胃腸系が整うといわゆる抗ストレス作用が強くなるそうで、食は元気の基本を再認識した養生塾でした。今後、養生塾に泊まりで参加できない方のために、気食講座だけでも、開催したいねと夢もひろがりました。
新緑のきれいな時期だったのですが、裏山に熊さんが出て入山禁止ということで、二日目も遠くに行かずに、癒しあいを中心に行いました。それでも朝食前には外で、動功を中心に気持ちよく気功を楽しみました。合宿の際中に参加者がねん挫したことや、樹遷さんも人生初のねん挫ということで、けがをしたときの処方の仕方や、体にこもった熱を発散する動功、筋膜を刺激する経絡動功なども、家に帰り取り組めるものばかり。安易にお医者さんのお世話になる前に、自分でできること、日々整えることが楽しくなる、楽業こそが気功だよというお話に、そうだよなと思いました。もう一つ、自分だけが気持ちよくなるのでなく、周りのいのちも幸せになるようなまなざしを持つことというお言葉に、はっとしたのは自分だけではなかったように思います。痛いところや、病があると何とかそれを治したいと、とかく人は自分の健康に目が行きがちですが、養生塾は諸々のいのちとのすこやかさを大切にします。日常に入ると忘れてしまう、諸々のいのちとひとつながりで生きていること。そのことを思い出しに来るだけでも、この養生塾は意味があるのではと思いました。今まで自分がお世話していた養生塾ですが、今回からは典座のお母さんたちが中心でお世話することになり、その始めの開催でした。参加者の帰りの朗らかな顔を見て、皆典座の喜びを味わえたように思いました。人の喜びを喜べる人。典座の心を持つことがもしかしたら、養生なのかもしれません。そんなことを思った、今回の養生塾でした。


第8回養生塾
春分の養生塾感想。

2月の養生塾からあっというま、気がつけば春分に。梅から桜に移ろう季節のダイナミックな変化を味わいつつ第8回目の養生塾となりました。
今回は自分が今までしていた裏方準備を、昨年年間通して参加されたメンバーが、典座さんとなり、初めての養生塾でした。いろいろまごつきもあったかとは思いますが、皆参加者が気持ちよく過ごせるようにいろんな工夫をかさね、素敵な気の場を作ってくれたように思います。今回は新しい参加者も数名、しかも、場所も金沢市内のゲストハウスを借りきってという今までにないかたちでしたが、不安というより、どんな気の場ができるんだろうという楽しみ一杯で準備を進めれました。
去年一年を通して思うこと、養生塾とは、本当に日々の暮らしのなかで、自分や周りを整え、更には自然の移り変わりに身をゆだね、季節と共に生きていくという当たり前を取り戻すこと。でもこれが一番この時代難しいのです。樹遷さんと共に過ごしていると、なぜか、周りの自然に目が行き、移ろいを楽しめ、そして遠い先人のまなざしに想いが向くのです。
季節の体があるんです、今回皆さんはまだ、春なのに冬の体になっています、それを整えましょうと、二人での交流。本当にシンプルな交流で、皆の肩が前にまいているのが、すっと開きあちこちから、首が楽にとか、息が深くなったという声が。そして食でさらに春の体つくり、気食の心で、今回も最高の食を頂きました。詳しいレシピは今年、毎回アップしていこうかと。ご期待ください。「ちなみに前回2月の気食レシピは樹遷さんのHPで分かりやすくアップされています、ぜひ一読を」
今回は親子連れの参加が二組、子供といっても、最近の子供はやはり、腎が乱れていたり、からだがバランスを崩していたりで、大人と一緒に、癒しあいを真剣にしているのがほほえましかったです。樹遷さんが初めてお師匠さんに出会ったのは10歳の頃だそうで、ちょうど今回参加の子供たちの年齢、想いもひとしおで、樹遷さん、子供の参加に嬉しそうでした。
今回は典座部屋というのを作り、そこで、塾の合間に、典座メンバーでミーテイングしたり、樹遷さんに個人的相談ある方が出入りしたりと今までにない、時の過ごし方も始まりました。どんどん、養生塾も変化発展していくんだなと参加しての感想。
二日目は季節外れの名残雪で、外は一面真っ白に。養生塾は雪と縁が深いのでした。でもすぐにお日様がさしこみ、見守ってくれているようでした。
今回参加された方は多く、会社の一線で働きの中心となる年齢、いろんな大変さを抱えざるを得ない人生の時期、こんな時期だからこそ、日常的養生の知恵が大切だなと、塾の時間が進むごとに緩んでいくメンバーを見ていて思いました。仕事の人間関係につまずき、外へ出るのがしんどくなって家にこもりがちだった女の子も。自然に体も心も緩んできたのでしょう、帰るころには笑顔が。とてもありがたいこと、そして養生塾の気の場の暖かさを思わずにはいられません。こんな穏やかで、あたたかな気の場はほかにはないと強く思えるのでした。毎回のこと、二日目の終わりの時は皆昔からの知り合いのようにうち溶け合っていました。典座ママたちも皆のほころんだ笑顔を見て、準備の大変さも忘れ、自分のことの様に、喜んでいたのが印象的でした。典座の楽しさに気づいてくれたかな。
皆の感想文もとても素敵で、又の再会を約束し塾は終了しました。
今回は午後に、金澤氣巡り企画。参加希望者で近くのおいしいうどん屋さんでお昼をいただき、午後の会場に移りました。そちらの方は又違う文章でご報告。
養生塾も今回で8回を終えました。だんだん、養生というもの、目指すところが見えてきたかなと。同時に、これは現代必要としている人が本当に多いなとますます、ご縁を作ってあげたく思うのでした。プログラムは、参加者の気を見て、時間も時計でなく、深さで計ります、ゆえになかなか今の時代の人に伝えにくい会で、皆も声掛けに苦労されているよう。でも来たら分かるんや、なんとかあの人に次回来てもらいたいと熱い思いが湧くのでした。
地道ですが、そうやって参加者が変化していくのを見て、それに関心を持ち参加してくれる。それが一番本物かなと思ったり。養生の知恵をまず自分が自然に身に付けるところからですね。でも、何か感じた方は迷わずご参加を。それ以上の中身はありますよ。今年は後、10月。夏にも一泊をしたいねということで、7月あたりにも開催できそうです。一回ご参加あれ。体でしか、感じれないものがありますよ。雰囲気が多少伝わるとありがたいです。
第7回養生塾
第7回養生塾のご報告

2019年、年初めの養生塾、2月無事終了。というか今回も素晴らしく、そして暖かく心に火が灯る会とすることができました。まずは参加者、そしてご指導いただいた樹遷さんに感謝。
今回は会場がなかなか見つからず、お仲間の田舎の別邸?をお借りしての会となりました。去年もそうだったのですが、北陸の冬は人が動かないということで、年末の半分の少人数だったのですが、ちょうど今回の家サイズにはぴったりの人数で、アットホームなまさに気の家族を深く味わえたとは参加者の声。
冬の整え
始まりでは、樹遷さん、皆さん冬の寒にあたり気のバランス乱してますねと、まずは足の冷え、むくみへの対応、いわば腎の気の調整。その後、首肩に冷えがコリとなって表れている人多いということで、首肩の気の癒しあいを行いました。終わった後は皆、見える景色が違う、5感がはっきりすると本来の自分の体になった手ごたえを嬉しそうに語り合っていました。いつも樹遷さんの手立ては本当にシンプル、養生塾では余分な飾りはすてて、少しの手立てで、日常生活に使えることを。本来、気とはシンプルなもの、そして命はそれに答えてくれる素晴らしいもの、現代はいじくり回し、勝手に複雑にしている、それを解きほぐしたいというのがこの養生塾。なんでこれだけで、こんなに体が軽くなり、なにより優しい気持ちになるのはなぜと気の世界の不思議に感じ入ってしまいます。
恒例かるた大会
夕食後は旧暦の小正月ということで今年も百人一首大会、皆真剣にとりあうのがかわいいのです、みんなでこんな風にかるたをしあう風景も今ではなくなっているような。輪を囲むということ、それだけでも気は巡る、食も団欒が一番の栄養ですね。
最後に背中の気の交流をしてすこやかな眠りにつきました。やまとことばの柔らかさ、自然に対する深い観察からくる言葉、使いこなせるようになりたいなと皆が思ったのではないでしょうか。自然への関心が深まることは同時に日本の文化に触れること、文化は体に身について初めて文化、やまとことばと気は切っても切り離せないものだなと感じる近頃なのでした。
  銀世界の朝
二日目の朝がこれまた、神様からの贈り物!?今年全く雪降らずで、田んぼの土がずっと見える景色だったのが、この日窓を開けるとなんと一面銀世界、そして空は真っ青、1シーズンに何回しかない見事な冬景色が皆を迎えてくれました。恒例の朝のあんま功の後、外に出ましょうということで、誰も歩いていないまっさらな世界で、お日様や近くの山や、青空さんと目一杯、動功を中心とした気の交流をさせていただきました。これは本当にすがしがしい体の細胞奥に残る素敵な時間でした。後ろを見ると参加されたお母ちゃんたち、娘さんになったようにきゃきゃはしゃいでいるのが素敵でした。家では母役、奥さん役と自分の時間があまり持てないのが今の日本、でもこんな風にふとお母さんたちが本当の自分の素に戻れる時間というのはとても貴重なものではないでしょうか。命を一新して又日常へ、そんな場になっているような気がします。この日のために日々頑張れるとは参加者の感想。
  暮らしでの体の使い方講座
午前の最後は前半は参加者の日々の気になる所作を学びたいということで、座り方、しゃがみ方、振り返り方と美しいたたづまいのありようを学びました。美しいは気が流れていること、こんなに優雅に日々体使えたらかっこいいな、日々の中で気にかけようと思いました。いつか少しは様になるかな。後半は前日の復習を兼ね、更には来るべき春に向けての整えを行いました。このころになるともう気の場ができているので、二人組になった瞬間から気が動き始め、一人でに調整されていく感が何とも面白いのです。日常でマヒしがちな気の感覚ですが、わずか一日でもこうやつて過ごすことで、よみがえってくるから不思議です。だんだん、そんな気から確かな実感としての気の世界。スタート時期が違っても開けば皆一緒なんですと語られる樹遷さん。参加回数を重ねるごとにそうだなと実感します。明治に入り、気の文化、漢方の世界の伝承が絶たれたけれど、先達さんたちの懸命の想いで今日、樹遷さんを通しこうやって体験できることが本当に有り難く、そして貴重な機会だなと改めてご縁に感謝したくなる二日間でした。気食も毎回のことながらただおいしく、そして心がこもり、そして季節に寄り添うメニューでした。こちらは今回からきちんと記録に取り又年末に小冊子にする予定。ご期待を!
   終わり去りがたく
そんなこんなで、お昼前に終わる予定が皆去りがたく、一緒にご飯を食べましょうと近くのお店に入ることに。その後も喫茶店でコーヒーをいただき、塾以外での普段着の樹瀬さんと楽しいひと時を持てたのもこの人数ならではのこと。参加者は大満足だったのではないでしょうか。
   今年も多くの出会いを
今年も始まりました。その第一弾企画、勢いがつきました、次回は3月、5月、それぞれ違う会場で又新しい仲間と、一期一会の塾となります。皆さん一度ご参加あれ。命が喜ぶ感じ味わってもらいたいな。養生、一年経ってからだに自然と身につき始めた感じが。これを10年続ける人と、しない人、大きく人生変わるだろうな。
何歳からでも始めれます、なにせ気はすでにあるもの、そして命そのものだから。

第6回養生塾の風景、一年を締めくくるにふさわしい感動の二日間
 気が付けば早6回目を迎える養生塾、大雪と共に始まったこの泊まりの会、一年を締める今回もまた雪のお出迎え。純白の美しさと来年への真っ白な夢描けと天からのプレゼントでしょうか。参加者の感想にもあったのですが、この2か月に一回の養生塾が自分の日々の暮らしの励みとリズムになっていて、ここに来るために今日も頑張れた、自分にとっての心の支えですという言葉に皆がうなづけるそんな場に成長しつつある実感の会でした。今回はいつも、樹遷さんが早入りして平日の夜に行っていたしずく塾を、土曜の午前に開かせてもらうところからの始まり。しずく塾については別コーナーで詳しく書くとして、でも、いつもと違う新しい参加者も多く、いろんな質問やテーマ―も飛び出し、毎回ながら濃い時間を過ごさせてもらいました。そして午後、いつもの研修所へ。養生塾も前回の秋より、一気に参加者が増え、特に20歳前後の若者が数人参加という何とも未来に希望の持てる会となり、典座役のママさんたちも大張り切り。今までは自分がお世話から、会の中まで取り仕切っていたのですが、今後参塾者も増えるということ、そして人のお世話をすることこそが、気の修練、そして養生の喜びということで塾の参加を重ねた方々に典座さんとしていろんな働きをお願いしました。変化のある、そして来年に向けワクワクする可能性の二日間でした。始まりの茶礼では、改めて養生の想い、季の気に寄り添うこと、癒しあうこと、そして冬の気に応じた体の調整をいくつかのツボを通した交流で行いました。終わったころにはみんなの顔も冷えてた足もほこほこという感じで、場の気も皆の熱気で暖かくなったのでした。ワークが終わった後は、今回のメイン夜の気食つくり、一年の終わりということで、お母さんたちのおもてなし一杯のパーテイのような気食、若いメンバーたちも教えられながら一生懸命調理していたのが印象的でした。夕食が楽しく終わったのは言うに及ばずですね。安価者の声、毎回、太って帰りそうと。でもその分よく動き、からだも整うので、流れもよくて、からだが軽いのがすごいところ。
夜の交流では、一年フル参加して今回より典座役をかってでた、ママさんたちに御礼の意味も込め、気の変化の感想文入りのアルバムを一人づつに渡させてもらいました。その時にしてもらった一人づつのスピーチが最高。(これは別文でいずれ書きます)皆にとって本当にこの養生塾が命を育み養う場所であったんだなと、お世話冥利、感動の時間でした。新しい参加者たちも、この塾の魅力を感じ取ってくれたのではないでしょうか。皆の一年への想いが場の気を一気に高めてくれ、部屋中が家族のような団らんの場になったのでした。その後は女性が多いということで、女性の体の調整の交流を中心に、初めての参加者たちも、少しのことで瞬く間に気が変化していくこと、気の不思議にびっくり、自然の笑みが場を暖かく包んでいくのでした。こんなに自然な笑顔があふれる会はないよなと一人幸せ感に浸る自分なのでした。
夜は皆寝がたく食堂に降りてきて、いろんな話に花が咲いたのでした。もうこのころには新しい人、昔からのメンバー関係なく、和気あいあいの気の家族なのでした。
二日目は恒例の梅商番茶に始まり、基本のあんま功、特に冬は寒さが悪さをするので、足の裏に血のめぐりが良くなるポイントをいくつか教わりました、どれも家に帰りできるものばかり、当然薬ではなく突然効くものではありませんが、毎日する中で、必ず変化していくものなので、覚えてほしいあんま功なのでした。
朝食のあとのワークはスワイショウに八段錦、昇降開合に站椿功と基本を味わい、その後は一人一人の気録表をもとにアドバイスタイム、クリスマスということで、一人一人への調整は見事の一言でした。ここは治療を目的とした会ではないのですが、気の不思議を感じれる又とない学びの時間となりました。
今回は何をしたというよりも、一年の積み重ね、養生の結果がそのままでたなという素晴らしい時間と場になったというのが第一の感想です。一年でこうも人は変わるんだ、体だけでなく、心も生き方も、そして未来に皆が夢と希望を持ち始める、20代ならあるかと思うのですが、50代60代の方が謙虚にこれからの人生を楽しみをもって語り始める会というのはそうないのではないでしょうか。そしてそれを若者たちが聞くという、養生は生育老病死すべての風景が在ることが一番のすこやかさ、養生塾にもそんな方たちが来てくれることが理想といつも樹遷さんはお話されますが、その光景に一つ近づいた会だったように思います。そうそう今回は親子連れの参加で、3人の子供たちも一緒に過ごしました。別に強制されることは何もないので、同じ部屋で漫画を読んだり、隣の部屋でボール遊びをしたり思い思いに遊んでいましたが、それも養生塾の風景に溶け込んで素敵なのです。朝には皆がひとりでに集まり、一緒にあんま功や、気の交流をしていたのがほほえましかったです。
最後に来年の計画、気の伝えてや癒してを育てる気らん塾の開催に数人のメンバが―やりたいと名乗りを上げてくれました。若いメンバーたちの素直さがとてもうれしいのでした。典座さんたちもその意義を深く感じ取っていただき、やる気いっぱいなのがありがたいのでした。養生は自分の命でなく他の命への暖かいまなざしを持てるようになること。今はそんな風に思う、養生への想いでした。やはり一年やることにより、見えてくるものとても貴重なもの。今年見えてきた風景をさらに来年発展深めていくために、いろいろ整理することがありますが、その大変さ以上に参加者の心からの喜びの笑顔と出会えることが楽しみです。早くこいこい来年の養生塾。第6回の報告でした。一年の感想文もまた読んでくださいな。
杜のまなざし塾の風景
杜のまなざし塾の風景
6月白山ブナの杜
クラウドファンディング杜のまなびや達成感謝企画としてさせていただいた、杜のまなざし塾。天気にも恵まれ、多くの方の参加の元楽しく終えることができました。下は5歳から上はん十歳まで、いろんな世代が集い、さながらブナの杜の様。始めは樹遷さんの、植物、地層のお話から。歩くたびに薬草を見つけ、その説明、自然を活用し、故に自然を敬ってきた昔の人の知恵に脱帽。もっともっと自然のことを知りたいと誰もが思ったのではないでしょうか。その後ブナの杜にはいり、ここでは自分が先導させていただき、樹木になる気功、站椿功を一緒に楽しみました。子供たちは生きてることが気功というわけで、自由に杜を駆け巡っていました。杜から降りた後は、麓のお宿の一室を借りて、昼食をいただきながら、樹遷さんブレンドのハーブテイとスクール生が焼いてくれた気食クッキーが皆の山歩きの後の体を癒してくれました。
その後、樹遷さんの森の語りタイム。植物が多くの感覚器官をもっているということ、みどりに私たち人間は支えられ生きているということ、すべてのいのちと響きあう感性の育みが今大切というお話に皆、歩いた杜を思い起こしながら深くうなづいていました。帰り道では一本一本の樹木や草が個性を持った愛しい姿に見えてくるのが毎回感動なのです。人中心の社会からみどりに圧倒的に依存しながら生きている私たちのありようを素直に見つめ、新しい関係性を築いていくこと、足るを知る謙虚さが大事なのではと思いました。次回は秋10月、又再会ということで、盛会に終了させていただきました。多くの方のご支援で子供、若者達が参加することができました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
2018宝達山にて
秋深し🍁魅力的なイベントが盛りだくさんの石川✨
このところチビ太も風邪気味で
咳き込みからの喘息が心配だった昨日は
眩い太陽と爽やかな秋風が吹き抜ける最高のお天気!✨
稽古や仕事が詰まりに詰まって、子どもたちと一緒に遊びに行けず「ごめんね」ばかりの日々の中で
用事の合間にこれなら行ける!と
以前、縄文時代にタイムスリップさせてくれた
樹遷さんの「海と杜のまなざし塾」へ🚶‍♂️
宝達山を車で上がった途端に
目に飛び込んで来た絶景に息をのむ。
深いブルーとエメラルドグリーンの美しい海が、青空と溶け合いながら、柔らかな弧を描いていた🌊
勝手に石川のダイヤモンドヘッドと命名(笑)
山の中に入る前に
「人は『森林浴』『癒し』と樹々を見上げるけれど、実は樹々や草花も人間を見ているんだよ。大きくても小さくても優劣は存在しない。お邪魔します、ありがとう、という気持ちを持って杜に入りましょう」
と、樹遷さん。
以前お会いした時よりも樹遷さんの仙人度が更に上がっている!!✨
神様が目に見えるなら、こんな感じだと思う。きっと。
道々の植物たちが、遠い昔にどのように使われていたのか、どんな効能があるのか
丁寧に教えてくれる内容には「へえ!そうやったのか!」と、ため息ばかり。
よく目にする「木々」が、ひとつひとつ個性をもった「樹」として存在感を増していく。
無数の植物たちが放つ深い香り。
こだまする鳥の鳴き声。虫の囁き。
枝葉の間から零れる光の筋。
倒れた木の根元から生まれているいのち。
大小さまざまな植物や虫、動物や鳥たちが、支え合い、助け合い生きている。
気が付けば、チビ太の咳が止まっているじゃないか!☺️
呼吸がしやすくなったようで
勾配の激しいけもの道なみの山道を樹遷さんの傍にぴったりとくっついて
ニイニといっしょに「樹遷さん!これはなあに?」と質問攻め(笑)
最近の研究で樹や草にも「知能」があることが分かって来たのだそう。「歌」や「声」を持っているんだって。なんて素敵なんだ✨
スイスでは「人間の都合で植物が生きる権利を侵してはならない」という「植物の権利」を認める法律が出来たらしい。
片や、人権さえ蔑ろにされてる日本。
先進国どころか、どんどん劣化&後退してるよなあ😔
山頂付近のブナの杜で
かつて末期癌だった樹遷さんが、杜のマザーツリーからいのちを救われたお話を聞かせてくれた。
「樹に寄りかかっているうちに、激しい痛みが引いて行く。あれが木霊というものなのかもしれないね。」
不思議とその情景が見えたような気がして鳥肌が止まらなくなる。
「好きなブナの樹に語りかけてみよう」
杜を想い想いに歩きながら、わたしの心を捉えた太いブナの樹🌿
触れるとひんやりと冷たいのに、頬をくっつけて、寄り添っているだけで、心の中に温かいものが溢れてくる。
蓋をされていた感情や感覚が、ぽろりぽろりと剥がされて溶けていくよう。
なんだか優しく抱きしめられてるみたい。
わたしの視界から早々に消え、杜を縦横無尽に駆け巡ってお気に入りのブナを見つけた子どもたち。
ニイニは「ブナ師匠」チビ太は「ブナ三兄弟」と名前を付けたんだって😊
「杜で遊ばせてくれてありがとう。家族のこともみんなのことも地球のことも守って下さい。また来ますってお話したんやよ」と、チビ太。
「また、絶対、ブナ師匠に会いにくる!」とニイニ。
杜を抜けて改めて見渡す世界は、また一層、輝きを増したように見えました✨
今回の「海と杜のまなざし塾」は
『養生塾』の一枠。
自然と調和しながら生きること。敬うことも『養生』に繋がってる。
かつて人と自然は互いを敬いながら、共鳴しながら生きていた。そのDNAはこの体にも引き継がれているはず。
もっともっと呼び覚ましたいな。
最後の最後で時間切れになってしまって
樹遷さんとも参加者のみなさまとも
深く話せず、先にお暇しなくてはならなかったのがとても残念😭
また参加したい!いや、します!!!
樹遷さん、森さん、そして、宝達の自然たち。
素晴らしく美しい気付きの時間を本当にありがとうございました✨



2018年医王山
6月、初夏の杜のまなざし塾は金沢の奥座敷、湯涌温泉から車で15分の医王山を歩かせてもらいました。医王山という名の通りここは、昔加賀藩の時に薬草を採取していた山だそうで、いろんな種類の薬草が自生している杜故、保護され今も割と自然の状態が保たれている山なのです。
今回は養生塾の最終日に単発参加者と合同で開催ということで、下は4歳から上は70代とさらに、青年たちも多く参加してくれ、まさに老若男女の総勢20人弱での杜歩きとなりました。杜のまなざし塾は、頂上を目指したり、自然観察会ではなく、歩き歩き、草花や、樹木さん、昆虫たちと会話?を交わしながらそして、気のいい場で気功をしたりしながら、体の細胞を開き、杜の気とより交流を深めていけることを大切にしています。
前半は平らで広い道をのんびり歩きながら、樹遷さんがふと立ち止まり、様々な樹木や、草花、そしてそこから見えてくる、人と自然の関わりのお話等々。自分たちなら何気なく通り過ぎてしまいそうな風景が、へえー、なるほどとそこから、昔の人がこの里山で暮らしていた風景が見えてくるような、そんな導きをもらえるのがこの会の魅力なのです。
そんなこんなのうちに初めの休憩ポイント、自分の設定時間を大幅に過ぎてしまい、そこで早めの昼食に。樹遷さん早速そこで、石を拾い皆に地質のレクチャー。まだこの地が海の中だったころのお話、何億年という時間を通しての自然の成り立ちの妙に、参加した子供たちもくぎ付け、学びの風景ってこんな感じなんだなとほのぼのとした風景でした。
お腹を満たした後は、山道歩き、少し登りもありで、70代のお母さん、膝に難をかかえ、医師からは人工関節をといわれながらの参加なのですが、前日からの養生塾の参加と、青年たちのホローで、この急な登り道もトライすることに。前後に若者がついての黄門様ご一行なのです。杜のまなざし塾の想いは「いのちひとつらなり」の実感、参加者も体力に様々な違いがあります、屈強なものだけが良しとするのでなく、参加者皆が一つの心で杜と交流することが大切なのです。そんなわけでこのご一行さんの頑張りは皆の喜びなのです。
そんな道を1キロ当たり歩いたところで、自分が下見の時にいいなと思っていたブナの広場に到着、そこで、しばしブナさんたちと交流を、と思いきや足元には一杯のギンリョウソウが。足を踏み入れ植生を壊してはということでここでの気功はあきらめ、更に見晴らし台めざしのウオーキング。白はげ山という可笑し気な名前の金沢市が一望できる見晴らし場に到着ししばしの休憩。
この日は梅雨まじかにも関わらず、湿気のない、北陸には珍しい、本当にさわやかな天気、遠くの海まで見え最高!日頃の行いの良さ!?甘いもので疲れを癒し深呼吸。
そしてここからは帰りのルートという予定だったのですが、最後の所で突然の見事なブナの風景が。樹遷さんのここでしばらく味わいましょうということで、各々が樹木に触れたり、座ったり、自分は初めての参加者と樹木になる気功「站椿功」を楽しんだりとゆったりとした時間を過ごさせてもらいました。站椿功を終え周りを見渡すとそれぞれが杜と一体になっていて、人と自然が対峙するのでなく、共に語り合い、育みあっているような、素適な風景がひろがっていました。まさに杜のまなざし塾の目指す「いのちひとつらなり」の風景なのでした。終わった後の感想でも皆が、時間が止まっていた、細胞が解けていく感じ、自他の区別がなくなった、みんなの穏やかな表情が心地よかった等々、このブナで過ごした時間を細胞に強く記憶されていました。
下山した後は、宿舎前の芝生にての分かち合いタイム。
思ってた以上に距離を歩いたけど、全然足が疲れてない、ちびっ子や、足の不自由なお母さんを自然と皆がホローしているのに人の杜を感じた、肩の力が抜け、今の自分でいいんだと思えた、日常から離れ、こんな時間必要ですねという初参加の方の感想、皆本当に満足な優しい顔になっていました。杜を見るだけでなく、杜からも見られ、見守られているんだよといつも樹遷さんが語られるのですが、本当に杜に包まれ、抱かれている一日だったように思いました。
足に気が通ると疲れないんだよとは樹遷さんの言葉ですが、その後参加者とお話したら、皆が皆なぜか全く足に筋肉痛がなかったと不思議に話してくれるのです。今まで足に自信がなく杜を歩いたことのないお母さんたちも全然疲れがないとのこと、「実は今回自分としては下見で気軽なコースと思い、設定してたのですが、参加者にとっては最初に聞いてたら絶対歩かなかったというハードなコースだったようで、でも気が付いたら最後まで普通に歩けたし良かったという声、だましたつもりではないのです、この場を借りてごめんなさい!?」杜からいただいた自然の力が皆を歩かせてくれたのでしょうか。医王山の杜さんありがとうございました。
多様な変化に富むこの杜、また秋にも歩こうねということで、名残惜しみながらお別れしました。帰り湯涌温泉はしょうぶ湯。何人かの参加者は温泉気功も楽しんだとか。
いつも思うのですが、杜のまなざし塾のあとは参加者皆が本当にやさしいお顔になるんです。これが本来の皆の姿!日常ではどうしても、私はあなたと違うという想いが緊張や力みを生み、体や心のこわばりを生むのでしょうか、でも杜に入り、ブナさんたちと静かな時間を共有するうちにそのこわばりが解け、本来の(いのち)のありように戻れるような。人の内なる杜が回復していくのかもしれませんね。柔らかな新緑のみどりの杜、次は紅葉の杜を又皆と歩けたら有り難し。初めての方も是非ご参加を。心に命の泉が湧き出ますよ。
「次回はもっと短いコースを考えますです、はい」
最後に先導の樹遷さん本当にありがとうございました。樹伯レポートでした。
しずく塾の風景
しずく塾の風景
6月小松市お茶室にて
今回のしずく塾は今までの会場と大きく趣を変え、格式高きお茶室にて。若者たちにこんな日本文化の粋の詰まった環境を味わってほしいということで探し、ご縁をいただきました。
雰囲気は穏やかなのですが、畳に座るとやはり日本人、背筋が伸び凛とした気持ちになるのです。しずく塾は、樹遷さんと参加者の一期一会の知恵の紡ぎあい、魂の深いところでの響きあいにお茶室は素敵な気の場を作ってくれました。毎回参加者からお話したいことや、聞きたいことを書き出してもらいそれを受けてお話が始まります。講演の様に一方通行でなく、相方向の語り合いがしずく塾の本分です。
始めは20代になすべきこととそれをどう見つけるかという質問、樹遷さんだけでなく、参加者も自分の昔を思い浮かべ語ってくれました。異世代が語り合える場ってなかなかないなと話を聞きながら感じ入っていました。その後、社会や家族とこれからどう関わっていくかという質問、特に親子という血縁をどうすこやかに育めばいいかには多くの方が悩んでいるようで、今回のメインテーマとなりました。家族の中に他人が入ることの大切さ、突き詰めれば気縁がこれからの時代大切なことだよという話には皆、はっとさせられたようでした。また、社会というものが幻想でできていること、こうしようという取り決めが、こうしなくてはになり、こうでなければとなり、こうしないやつは排除という構造の中にいる私たちの社会、もう一度本来を見つめてみようというお話にはなるほどと深くうなずく知恵がありました。
後半は少しお茶をして、角度を変えて旅のお話。世界を知る樹遷さんならではの先住民の人たちの知恵へのまなざし、特に「未開」とは何かについては本当に考えさせられました。人の一番の評価は、世界共通でお金でも、肩書でもなく、「エレガント」さであるという語りにドキッとした人は多かったのではないでしょうか。そんなお話を聞いているうちにあっという間に二時間立ち、まだまだお話したいという若者が多くいたので、近くの公園に場所を移しての二次会となり、そこにも半分以上の人が参加され、知恵の言霊の響きあいを深めました。きちんと向き合ってくれる大人を若者は本当に心の底から望んでいるんだなと、この会をお世話して毎回思うこと。
生きにくいこの今の日本社会において心の深くにため込んでいる、若者の想いがほぐれ、言葉となってほとばしるそんな瞬間に出会えるのが、毎回の喜び。きっかけは樹遷さんの体験からくる、言霊ですが、それを引き金に知恵が多くの人の中からあふれ深まっていくのが素敵です。次回は未定ですが、多くの地でこのしずく塾が開催されたら救われる若者多いだろうと思いながら会を終えました。

今まで数回開かせてもらったしずく塾のテープ起こしをしてせめて活字にして、遠くの人に読んでもらえたらと思い、今作業をし始めています。関心ある方はぜひ、できた暁にはお買い求めください。